ブログ休止のお知らせ
当教会のブログは、諸事情によりしばらくの間、お休み致します。
当教会へのお問い合わせ(冠婚葬祭など)は、下記までお電話をお願い致します。
0855-22-3282(浜田基督教会)
お手数おかけしますが、よろしくお願い致します。
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1日(日)10:30 大斎節第1主日 聖餐式
8日(日)10:30 大斎節第2主日 聖餐式(牧師就任式)
15日(日)10:30 大斎節第3主日 み言葉の礼拝
16日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝
21日(土)10:30 聖職按手式(神戸)
22日(日)10:30 大斎節第4主日 み言葉の礼拝
29日(日)10:30 大斎節第5主日 聖餐式
※礼拝は、どなたでも参加できます。お気軽にお越しください。
※み言葉の礼拝とは、信徒がささげる礼拝のことです。
気づいていますか
司祭 セバスチャン 浪花朋久
皆さんは、「マインド・フルネス」という言葉をご存知でしょうか。「マインド・フルネス」とは、気づくことを訓練することです。例えば、物事に対して「気づいていない自分がいる」ことや「何をしているのかわからない自分がいる」ことに気づいていく訓練をすることによって、精神力を鍛えていくようなものです。キリスト教でも「黙想」と呼ばれるものが、それに近いと言われています。聖書のみ言葉を読み、そのみ言葉について思いを巡らすことで、新しい何かに気づくことができるのも黙想の一つの特徴です。
「気づき」とは、良いものを発見することだけでなく、自分がどのような状態であるかに気づくことも含まれます。つまり気づきとは、「理解していない自分がいる」といった、見て見ぬふりをしていた自分の存在を受け入れることでもあるのです。
理解する力
ヨハネによる福音書第1章35節以下に、2人の人物がイエス様の弟子になったことが記されています。2人は、イエス様に「どこに泊まっておられるのですか。」と尋ねます。するとイエス様は「来なさい。そうすれば分かる。」と答え、2人はイエス様について行きました。そして2人は、イエス様が泊まっている所を見たのでイエス様の弟子になったのです。ここでいう「見る」には、「理解する」という意味があります。つまり2人の弟子たちは、イエス様がどこにいるのかを理解したので、イエス様の弟子になったのです。また「泊まる」とは、「留まる」という意味があることから、弟子たちはイエス様が自分たちの日常生活の中に留まり、イエス様が自分たちを喜びで満たしてくださる状態、そして悲しい時には誰かが慰めくれるように導いてくださっていることを理解したのです。
彼らの気づきは、イエス様を見ることができない現代の私たちに大きな希望を与えてくれます。何故ならイエス様が、私たちの日常生活の中に留まっていることを証ししているからです。イエス様の存在に気づくだけで、私たちの生活は一変します。イエス様によって喜びは更に増し、悲しみもイエス様が共感してくださるので半減するからです。
旅立ちの言葉
3年11か月という短い間に、この浜田の地でイエス様の力が多くの場所で働いていることに気づくことができました。私は2月末でここを離れますが、イエス様は私たちの生活の中にいて私たちをより良い生活へと導いてくださっています。皆様が、常にイエス様の存在に気づきながら日々を歩んでくだされば幸いです。
短い間でしたが、ありがとうございました。そして、さようなら。
2日(日)10:30 被献日聖餐式
9日(日)10:30 顕現後題5主日み言葉の礼拝
16日(日)10:30 顕現後第6主日聖餐式
礼拝後:堅信受領者総会、定例教会委員会
17日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝
23日(日)10:30 大斎節前主日み言葉の礼拝
※ み言葉の礼拝とは、信徒だけでおささげする礼拝です。どなたで参加できます。
誤解
司祭 セバスチャン 浪花朋久
発明家のアルフレッド・ノーベルは、1866年にダイナマイトを発明しました。ダイナマイトは、採掘作業や土木工事の安全性向上を目的として発明されました。しかし1888年、ノーベルの兄が逝去した時にフランスのある新聞社は、ノーベル本人が逝去したと勘違いして「死の商人、死す」と題した記事を掲載しました。そこには、ノーベルが短時間で大勢の人を殺害する方法によって富を築いたと記されていたのです。これを目の当たりにしたノーベルは、自分の遺産の全てを、人類に貢献した人々へ授与する賞を設立するために用いることにしました。それがノーベル賞です。ノーベル賞は、ノーベルの思いが世間に誤解されたことから始まったと言えるのかもしれません。
誤解という真実の恐怖
私たちは誤解したりされたりすることがあります。誤解は、人々の心の中に真実として記憶されるので、それを解くにはかなりの時間と労力が必要となってしまいます。日本でも未だにキリスト教が、「怪しい宗教」と誤解されることがあります。誤解している方の中には、誤った理解が与えられた可能性もあります。つまり発信する側が正しいことを伝えないと、誤った情報が真実として広がってしまうのです。
聖書や聖公会で用いられている『祈祷書』ができた理由も、誤解を広めないことが一つの理由です。文字の読み書きができる人が少なかった時代、人々の伝達手段は「口伝」でした。そのため伝える側が、誤解してしまう危険もありました。そこで聖書や祈祷書の著者たちは、キリスト教が誤解されないために、文字に記して後世に伝えようと考えたのです。文字に残された聖書や祈祷書は、時代が変わっても本質は変わりません。しかし今度は、解釈する側に問題があると誤解を広めてしまうという事態が生じました。そのため教会では牧師だけでなく、信徒も誤解を与えないように訓練される必要がでてきたのです。
新しい1年の始まり
誤解は、する側もされる側も傷つけることしかありません。誤解を与えないようにするために、私たちはよく考え、よく祈る必要があるのです。2020年が誤解のない1年となりますよう、お祈り申し上げます。
1日(水)10:30 主イエス命名の日聖餐式
5日(日)10:30 降誕後第2主日聖餐式
礼拝後:会計監査
12日(日)10:30 伝道区合同礼拝(松江)
13:00 伝道区会(松江)
17日(金)10:30 阪神大震災記念礼拝(神戸)
13:00 教区防災講習(神戸)
19日(日)10:30 顕現後第2主日聖餐式
礼拝後:定例教会委員会、み言葉の礼拝講座
20日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝
26日(日)10:30 顕現後第3主日み言葉の礼拝
※ 1月12日(日)は、合同礼拝のため当教会での礼拝はお休みです。
※ み言葉の礼拝とは、信徒がおささげする礼拝のことです。
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