2019年5月 1日 (水)

教会だより5月号

わたしたちの時代

  司祭 セバスチャン 浪花朋久

 「私たちの時代は、こうだった」という言葉を、自分より下の世代の人々への説教で使うことがしばしばあるかと思います。しかし若い世代の人々は、自分たちの考え方こそが正しいと思ってしまい、世代の溝は深まるばかりです。どちらの時代の考え方も「その時」は正しいのですが、「その時」が過ぎてしまうと次の世代の人々へは理解されず、「その世代」の人々にしか適応できなくなってしまうこともあるのだと思います。そして誰もが「私たちの時代」という言葉をもって、他の世代の人々に押し付け合うことで、世代を超えた話し合いができなくなってしまうのではないでしょうか。

今あるもの

 新約聖書『マタイによる福音書』第17章には、イエス様の弟子たちが悪霊を追い出せなかった事に対して、イエス様が「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。」(マタイ17章17節)と、時代を嘆かれる場面があります。しかしイエス様は、その後に「昔の方がよかった」ということを仰いません。イエス様は、ご自分がこの世を去った後(昇天した後)、誰も篤い信仰を持てないのではないかと嘆いていらっしゃるのです。つまりイエス様は、「古い」、「新しい」といった次元で物事を見ておられず、「今どの様にするべきか」ということを私たちに語っていらっしゃるのです。

「あれは古い考えだからダメ」とか、「新しい考えは好きではない」といった意見は多くあります。しかし大切なことは、「今」という時代を生きるために何が必要なのかということです。今の時代でも、状況によっては昔の考え方でうまくいくこともあります。また今の時代の感覚でしか考えられない問題もあります。それを判断する力が、「今」を生きる私たちに必要なのだと、イエス様は私たちに語っていらっしゃるのです。

新しい時代へ

 5月1日から令和の時代が始まります。どの様な時代になるかわかりませんが、私たちは「今」を生きています。新しい考え方が多く生まれてくると思いますが、古い考え方の全てが捨てられる訳ではありません。どの場面でどの様な考え方をするのかが、今を生きる最大の力となっていきます。昔と今の調和を実現するイエス様の導きのもと、新しい時代を歩んで参りましょう。

2019年4月30日 (火)

5月の礼拝・行事予定

 5日(日)10:30 復活節第3主日 聖餐式

12日(日)10:30 復活節第4主日 み言葉の礼拝

14日(火)11:00 石見地区牧師・司祭会(仁摩)

19日(日)10:30 復活節第5主日 み言葉の礼拝

20日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝

22日(水)10:00 伝道区会計担当者会(米子)

26日(日)10:30 復活節第6主日 聖餐式

 

2019年4月24日 (水)

平成最後のイースター

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 去る4月21日(日)に、イエス・キリストの復活をお祝いする平成最後のイースター聖餐式が執り行われました。約35名の方々と共に、イースターをお祝いすることができました。礼拝後は、教会ホールで祝会が行なわれました。

2019年4月 1日 (月)

教会便り4月号

人格と品格

  司祭 セバスチャン 浪花朋久

 3月21日に神戸聖ミカエル大聖堂で聖職按手式が盛大に執り行われ、一人の新司祭と一人の新執事が誕生しました。牧師になる人は、「神様から特別な祝福をもらった人」とよく言われることがあります。しかし牧師全員が超人的な能力を持っているわけではありませんし、人によって才能や学力も様々です。この様に、人によって才能や能力が異なることは聖職者だけに留まらず、多くの人々にも当てはまることです。自分の才能や能力を自覚した上でいざ新しい生活が始まると、今までの能力だけでは通用しない場合もあります。この現実を知ると、自分が不甲斐なく感じることもあるでしょう。

誰が決めるのか

 使徒聖パウロは、新約聖書『コリントの信徒への手紙Ⅰ』12章で、教会の中に様々な能力を持った人々がいることを記しています。「第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。」ここでは、有能な人物は一人だけではないということがわかります。大きなことが何も出来なくても、備品を管理する小さな奉仕や仕事や援助も大切な能力の一つなのです。しかし私たちは、時折高い能力だけに注目して低い能力を否定的に見がちです。そもそも能力の「高い・低い」は誰が、そしてどの様な基準で決めているのでしょうか。聖パウロが語っているのは、能力の高い低いではなく、一人ひとりに神様から与えられた力があるということです。一方で私たちは、与えられた力だけを見るのではなく、他者の能力を比較しがちです。しかし自分が、他者から能力が低いと決めつけられるとどう思われますか?少なくとも良い気持ちにならないはずです。大切なのは、能力を比較することではなく、自分に「与えられた力」に気づくことなのです。

弱い人は必ず受け入れられる

 主イエスが十字架にかかった後、使徒たちは「次は自分たちが十字架にかけられる」と思って逃げ出しました。彼らの恐怖は、彼らの能力が低かったからでしょうか。そうではありません。主イエスは、ご自分の復活を弱い使徒たちに最初に目撃させました。自分の能力の低さに落ち込んだりすることはあります。しかし私たちには、私たちにしか出来ないことがあるのです。あなただけに与えられた神様の力を胸に、春を過ごしていきましょう。

2019年3月31日 (日)

4月の礼拝・行事予定

1日(月) 9:00 保育園入園式

7日(日)10:30 大斎節第5主日聖餐式

14日(日)10:30 復活前主日 み言葉の礼拝

19日(金)12:00 聖金曜日礼拝

21日(日)10:30 復活日聖餐式

22日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝

28日(日)10:30 復活節第2主日み言葉の礼拝

 

2019年3月23日 (土)

聖職按手式


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3月21日(木)神戸聖ミカエル大聖堂で聖職按手式が執り行われ、一人の司祭、一人の執事が新しく誕生しました。

2019年3月16日 (土)

石見地区牧師・司祭会

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 3月11日(月)、基督兄弟団江津教会で石見地区牧師・司祭会が開催されました。開会礼拝の後、昼食を交えてこの3月で転勤される方のご報告などが行なわれました。

※ 石見地区とは、島根県の西部(大田市から津和野町)の通称です。


2019年3月13日 (水)

堅信受領者総会

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 3月10日(日)の礼拝後に、当教会の総会が開催されました。今年の行事予定と予算(案)、昨年の決算などが協議され全ての議案が可決されました。


2019年3月 7日 (木)

大斎節(四旬節/レント)が始まりました

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 今年の教会の暦では、3月6日から大斎節(四旬節/レント)に入りました。当教会では、同日の10時半と19時から大斎始日礼拝を執り行いました。礼拝に出席された方は、灰の十字架のしるしを司祭から額に付けられることで、大斎節のスタートを切りました。


※大斎節とは、復活日(イースター)までの準備期間であり、イエス・キリストの荒野誘惑を覚えて過ごす復活日までの日曜日を除く40日間のことです。


2019年3月 1日 (金)

教会便り3月号

弱さを知る

 司祭 セバスチャン 浪花朋久

 自分の弱い部分を他人に見せることは、滅多にありません。それは家族や愛する人の前でも同じです。なぜなら「弱さ」は、私たちにとって恥だからです。愚痴や弱音を吐くと「甘ったれるな」「我慢が足りない」と、弱い自分が悪いと言わんばかりの答えが返ってくる時代もありました。だから他人に弱さを見せないように、または弱いと思われないように日々を送る人もいます。自分の弱さが他人に見つかりそうになった時は、他人を攻撃したり、自分のテリトリーからその人を排除すれば弱さが知られることはありません。しかし私たちは、弱いのです。どう頑張っても、弱さや限界が必ず私たちのもとへやって来るのです。

神の限界

 今年の教会の暦では、3月6日から大斎節が始まります。大斎節は、洗礼の準備期間であり、イエス・キリストの荒野の誘惑を覚えて過ごす日曜日を除く40日間です。

新約聖書『ルカによる福音書』第4章には、イエスが荒野で40日間悪魔の誘惑を受けられたことが記されています。イエスは神の子ですから、神様の能力を全て持っていらっしゃるはずです。そんなイエスが、なぜ荒野で40日間悪魔の誘惑を受けられたのでしょうか。神様には限界がありませんが、人間には限界があります。お腹が空けば食べたくなりますし、眠くなれば眠りたくなります。また苦しい時に一人で乗り越えられる力があると信じていても、実際は誰かの助けがなければ生きていけません。それが人間なのです。この人間の限界を知るために、イエスは身を持って人間の限界を経験されたのです。つまりイエスは、なぜ人間が弱さを受け入れられないのかを悪魔の誘惑において経験されたのです。これは、見方を変えれば私たちが誰にも知られたくない弱さを神様が誰よりも理解してくださっているということです。

自分に克つ

 人間にとって最大の誘惑は、自分を強いと思い込み、それを誇示することです。一人で生きていける人間こそ強い人間であり、もしそれが正しいのであれば、この世界には強い人間一人だけしか生き残ることは出来ません。それは、自分以外の誰も必要ないからです。しかし現代社会であっても、一人で生きている人はいません。いるとすれば、それは「一人でしか生きられない状態」なのです。誰にも助けを求められない、まさに弱い状態です。私たちは、自分の弱さを強さで覆い隠すのではなく、弱さを受け入れることで他人と喜び合える人生を歩んでいけるのです。

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