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2009年6月14日 (日)

「教会便り」(09年1月)から

(2009年1月の「教会便り」、【牧師室から】を転載します。…ブログ担当者)

「混沌とした世の中」

最近の世の中を見ますと不景気、大不況、紛争、テロ、自然災害、陰惨な事件、痛ましい事故、自殺、犯罪の凶悪化、不正・不祥事・偽装など暗いニュースがあふれているように見えます。
また日常生活においても家庭・家族や仕事の問題、複雑な人間関係など生きていく上で様々な困難があり、絶えずストレスを感じ、苦しみは常に隣り合わせと言えるのではないでしょうか。
そのような現実は正に暗闇世界、混沌とした世の中であると言えるのではないでしょうか。

「聖書の時代」

同じように紀元前六世紀のイスラエルのユダヤ人達もいわゆるバビロン補囚、つまり、バビロンに捕虜として強制移住されたことによって非常に苦しみ、正に精神的に混沌と闇に包まれている状態でした。
そのことについてはその時代に書かれた創世記1章2節で反映されていて、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」と表現されています。
そのような悲惨な状況の中において上述と同じ創世記1章3節で神様は「光あれ」と言われ、バビロンで捕囚の身になっているユダヤ人たちを解放し、彼らをイスラエルの国に帰らせ、彼らに喜びと希望という「光」を与えてくださったのでした。
ここから神様は闇や混沌の世界においても光の世界へと移して下さり、混沌や暗闇から光を射してくださることがわかります。
そのことはイザヤ書9:2で「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」、またゼカリヤ書14:7で「夕べになっても光がある」と言われているとおりです。

「混沌から光が差し込まれる」

私達は人生において時に八方ふさがりの暗闇の時、お先真っ暗と言う状況、絶望やどん底の状態という混沌に遭遇する時がよくあります。
しかし、そのような時に神様は「光あれ」と言ってくださり、暗闇、混沌の中から救いの光、希望の光を与えてくださるのではないでしょうか。
その意味で人生の暗闇・混沌の中にも必ず希望があり、夜明けがあることがわかります。
ドイツのカトリック著述家のT・ヘッカーが「わたしの生活ではあらゆることが暗かったが、神様がそれに光を与えてくれた。我が心よ、そのことをけっして忘れるな」と言われることを私達は心に留めたいと思います。

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