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2009年9月

2009年9月27日 (日)

「教会便り」(09年6月から)

(2009年6月の「教会便り」、【牧師室から】を転載します。…ブログ担当者)

「思い通りにならないこと」(2)

 先々月の月報で人生では思い通りにならないことが多々あって、苦しむことがよくあり、一つの積極的意味を述べました。今月もまたもう一つの意味を考えてみたいと思います。

「四肢麻痺のジョニー」

時は1967年のアメリカの東海岸の話で、当時、17歳の女性のジョニーはダイビング中に浅瀬に飛び込んで、頭を岩にぶつけて首の骨を折り、その結果、彼女の首から下に力が入らず、四肢麻痺になってしまいました。
緊急の手術やリハビリテーションは効果なく、それ故に彼女は苦しみ、「神様、もう一度歩けるようにさせて下さい。そのためにはどんなことでもいたします」と一生懸命に癒しの祈りを求めました。
しかし、癒しは起こらず、彼女は思い通りに行かないことに絶望し、また自分の頭しか動かせない生活の目的や意義は何なのかと苦悩しながら、神様に答を求め、祈り続けました。
そんなある日、彼女の友人から「十字架上のイエス様もあなたと同じ四肢麻痺だったのよ」と言われ、それに深い慰めを受けたのでした。
そこから彼女は「私は、主イエス・キリストが私のおかれている状態を実感をこめて理解できるということを発見しました。十字架の上で、死を待つ間の苦悶の恐怖の時間は、体の自由もきかず、助けもなく、過酷きわまるものでした。イエス様は動けないということ――鼻の頭をかくことも、姿勢を変えて体重を移すことも、目の涙をぬぐうこともできないということ――がどんなことか身をもって体験されました。彼は十字架上で無力な状態だったのです。手や足を動かすことはできませんでした。キリストは私がどんな気持ちでいるか正確に知っておられるのです」と語り、彼女はそこから人生に希望を持つようになりました。

「イエス様の足跡に続いていること」 

 私達は日々生活を送る中で、様々な環境や状態を変えようと努力しても、思い通りにならず、無力さを感じ、苦悩することがよくあります。
 しかし、上述の体験談と「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残された」(Ⅰペテロ2:21)のみ言葉から、私達がそのような状態の時には、私達が正に十字架のイエス様の足跡に続いていること、またイエス様の生き方に倣っているということが示されていると思われます。
私達はそのように積極的な意味づけをして、生きていきたいものです。

2009年9月13日 (日)

堅信式

(神戸教区、中村主教が浜田市に来られ、堅信式がありました。その様子です…ブログ担当者)

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