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2010年3月 2日 (火)

「教会便り」(09年10月から)

(2009年10月の「教会便り」、【牧師室から】を転載します。…ブログ担当者)

「高齢の方々の憂鬱」  

先月の月報では現代の若者の傾向を述べましたが、今月は高齢者の方の傾向を述べさせて頂きたいと思います。
青年と同様に高齢者の方々も否定的で、口々に「ただ生きているだけ」とか、「生きていても何の役にも立ってない」と言われ、ご自身を無用の存在と考えられる方が多いように感じます。

「ある高齢者の男性」

ある自殺未遂をしたという無職の男性がいました。彼は全く無気力で、生気を失っていた状態でしたが、しかし、ある時カトリックのピエールという神父が彼の下を訪れ、「あなたの助けを待っている人がいる。一緒に来てくれないだろうか」と語りかけました。
その男性は人生の無意味さをつくづく感じて自殺以外にすることはないと思いつめていたのですが、しかし、神父の言葉を聞いた途端、目に光が射し込み、体に力が満ち「自分にも生きる意味があるんですね。自分が誰かの役に立つということがあり得るんですね」と自信を取り戻し、生きる希望を持ったのでした。

「あなたは必要とされている」

そこで精神科医のエミール・フランクルは「あなたを必要とする何かがどこかにあり、あなたを必要としている誰かがどこかにいる…そしてその何かや誰かはあなたに発見されるのを待っているのです。そして自分にもその何かや誰かのためにできることがある」と述べています。
ここからたとえ高齢で自分の体が思うように動かなくとも、また、たとえ自分で役に立たない存在と思っていようとも、「その何かや誰かのためにでき」、「誰かの役に立つ存在」であることは一生、変わらないのです。

「神様からの熱いまなざし」

さらにそれにも増して神様は私達を役に立つ存在と見られ、私達に熱いまなざしを送られているのです。
あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思い」(Ⅱコリント11:2)、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43:4)と言われるとおりです。
 私達は今後「生きていても何の役にも立たない」と思わず、私達を必要とする誰かや何かがあるという、役に立つ、有用な存在であり、さらに神様も私達を必要とし、いつまでも見放さず、いつまでも期待しておられることを覚えたいと思います。

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