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2010年3月

2010年3月18日 (木)

「教会便り」(09年11月から)

(2009年11月の「教会便り」、【牧師室から】を転載します。…ブログ担当者)

「認められることとそうでないこと」  

2002年、アメリカ音楽界最大の栄誉とされるグラミー賞に、日本人のシンセサイザー奏者の喜多郎さんが最優秀ニューエイジ・アルバム賞を受賞しました。その時に喜多郎さんは「曲が認められてうれしいです。光栄です」と答えていました。  
このように一般的に人は他人に自分を認めてもらえたり、また理解してもらったり、受け入れられた時には大変、うれしくなり、喜びが自然と湧いて出てくると思われます。
それはこの認められて喜ぶという背景には自分自身の「存在を強く肯定」され、また「自分の存在が祝福されて」(山崎房一『心が軽くなる本』)いると感じるからでしょう。
しかし、逆に人に受け入れられてもらっていない時、わかってもらいたくても認められていない場合は、自分自身の存在が否定されている、また生が否定されていると感じられ、「つらい思い」(鈴木秀子シスター)をすると言えるのではないかと思います。

「もうすでに、認められたもの」

聖公会の今は亡き速水敏彦司祭は生前の説教の中で「理解されたいとは、ほんとうは、自分が他者によって、認められたいということです。もう少し正確に言えば、自分が正当なものであると他者によって認められたいということに他なりません。イエス様が命をかけて、私たちに明らかにしてくださったことは、お前たちは、もうすでに、認められたものなのだと言うことです。あなたは、もはや、認められたいという欲求のもとに生きる必要はない。その欲求から解放されて、すでに認められたものとして生きてゆきなさいということです。そのままのあなたが、イエス様の十字架と復活を通して神様によって認められているのだ――これが福音です」と述べています。

「存在自体を肯定してくださる神様」 

 私達は人生を歩むうちで一生懸命していても人から認められず、また時に周囲からも理解されず、悔しい思いや辛い思いをしたりすることが度々あります。
 けれどもたとえ、周囲の人が理解してくれなくても、しかし、神様だけが私たちを認め、受け止め、神様は「その気持ちはわかるよ」と言って全面的に肯定してくださるのです。
私たちは「私という存在自体を受け止め、一人の人間として肯定」してくださる神様がおられるということを覚えて、私達は「もうすでに、認められた」者として自分自身の人生を肯定し、受け入れて生きていきたいものです。

2010年3月 2日 (火)

「教会便り」(09年10月から)

(2009年10月の「教会便り」、【牧師室から】を転載します。…ブログ担当者)

「高齢の方々の憂鬱」  

先月の月報では現代の若者の傾向を述べましたが、今月は高齢者の方の傾向を述べさせて頂きたいと思います。
青年と同様に高齢者の方々も否定的で、口々に「ただ生きているだけ」とか、「生きていても何の役にも立ってない」と言われ、ご自身を無用の存在と考えられる方が多いように感じます。

「ある高齢者の男性」

ある自殺未遂をしたという無職の男性がいました。彼は全く無気力で、生気を失っていた状態でしたが、しかし、ある時カトリックのピエールという神父が彼の下を訪れ、「あなたの助けを待っている人がいる。一緒に来てくれないだろうか」と語りかけました。
その男性は人生の無意味さをつくづく感じて自殺以外にすることはないと思いつめていたのですが、しかし、神父の言葉を聞いた途端、目に光が射し込み、体に力が満ち「自分にも生きる意味があるんですね。自分が誰かの役に立つということがあり得るんですね」と自信を取り戻し、生きる希望を持ったのでした。

「あなたは必要とされている」

そこで精神科医のエミール・フランクルは「あなたを必要とする何かがどこかにあり、あなたを必要としている誰かがどこかにいる…そしてその何かや誰かはあなたに発見されるのを待っているのです。そして自分にもその何かや誰かのためにできることがある」と述べています。
ここからたとえ高齢で自分の体が思うように動かなくとも、また、たとえ自分で役に立たない存在と思っていようとも、「その何かや誰かのためにでき」、「誰かの役に立つ存在」であることは一生、変わらないのです。

「神様からの熱いまなざし」

さらにそれにも増して神様は私達を役に立つ存在と見られ、私達に熱いまなざしを送られているのです。
あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思い」(Ⅱコリント11:2)、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザヤ書43:4)と言われるとおりです。
 私達は今後「生きていても何の役にも立たない」と思わず、私達を必要とする誰かや何かがあるという、役に立つ、有用な存在であり、さらに神様も私達を必要とし、いつまでも見放さず、いつまでも期待しておられることを覚えたいと思います。

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