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2011年2月

2011年2月15日 (火)

「教会便り」2011年2月号より

「感謝の反対語の『当たり前』」

 一般的に「感謝」の反対語というのは不平、不満と思いがちですが、実は「当たり前」が正解で、私達は日常生活を送っていると、全てが「当たり前」のことで、何もかもが普通で当然のことと思っていることはないでしょうか。
 聖路加国際病院理事長の日野原重明氏は 「(心臓の)この音が三分間留まったら、脳に血が行かないので脳死になってしまう。いくら心臓をマッサージして心臓が再び打ち始めても、脳は死んでしまう」と言われています。
 また心理学博士の小林正観氏は、酸素が薄い、標高約4千メートルのチベットの高地に行った経験から、「呼吸しているだけ幸せ」と感じたそうです。
 またその小林氏は「生まれながらにして一度も目が見えた事がない人がいます。目の見えない人は『例え0.1秒でもいいから見てみたい』と思いながら生きているそうです。『目が見えたら感謝をしたい』と言いながら生きて、それでも叶わない人もいます」と述べています。
 以上から、たとえば心臓が動いてはじめて脳に血がいくこと、普通に呼吸できること、目が見えることなどなど、この一つ一つをとっても私たちは当然のことと思って、生活をしているのではないかと思います。

「当たり前ではなく、有り難いこと」                        

 ある教派の牧師は「私たちは全く気になっていませんが、空気があり、水があり、食べる物があることを当たり前と思ってはいけません。世の中には食べることも飲むこともできない人たちが多くいます。…また両手、両足があり、働くことができることも当たり前ではありません。背後に多くの方とイエス・キリストの愛に守られて生活ができています。当たり前ではなくなんと感謝な事ばかりでしょう」と述べています。
 カトリックの渡辺和子シスターも「今まで当たり前と思っていたようなことが当たり前ではなくて、“有り難い”つまり、有ることが難しい、したがって感謝すべきことだと思えるようになった・・・。一方、私たちは何と多くのことに感謝しないままで生きているかということに気づかされるようにもなった」と言われています。
   私達は「当たり前」というのは「有ることが難しい」もの、「有り難い」「感謝な事」であること、そして、神様からの愛と恵み、人の支えがあって、今の私たちがあることを覚え、日々、感謝したいものです。

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