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2011年4月 1日 (金)

「教会便り」2011年4月号より

「愛なる神様の不在」

 先月に東北関東で巨大地震があって、日に日に多くの犠牲者が出ています。
このような時に愛の神様は何故、見捨てられるのか、何故、助け救ってくださらないのかという疑問が出てくるのではないかと思います。
 同じようにマザー・テレサでさえも一時的に、インドで貧困層のための活動時に、ある牧師に「あなたはイエスの愛を受けている。私はといえば、むなしさと沈黙にさいなまれている。見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえない」という思いになったこともありました。
 おそらく、マザー・テレサはインドで貧困層の人々が次々と亡くなってしまう現実に対して、一時的に愛の神様への疑念に心が揺れたのでしょう。

「足跡の詩」

 「足跡」の詩で、「私の人生で最も苦しかったとき・・・わたしが最もあなたを必要としていたときに、どうしてわたしをお見捨てになったのか」という問いに対して、神様は「わたしの大事な大事な子よ、わたしはあなたを愛しており、決してあなたを見捨てることはありません。あなたが試みと苦難の中にあったとき、あなたがたった一人の足跡しか認めなかったとき、それは、わたしがあなたを背負って歩いていたときだったのです」と記されています。

「神様はここにおられる」

 アウシュヴィッツ収容所から奇跡的に生還したエリ・ヴィーゼルは、当時のことを回顧して語っています。  
 「三人の死刑囚は、一緒にそれぞれの椅子に登った。三人の首は同時に交索の輪の中に入れられた。…『神様はどこだ。どこに居られるのだ』、私の後ろで誰かがそう尋ねた。収容所長の合図で三つの椅子が倒された。全収容所内に絶対の沈黙・・・私達は涙を流していた。…私の後ろで、さっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた『いったい神はどこに居られるのだ』。そして私は、私の心の中で、ある声がその男にこう答えているのを感じた『どこだって。ここにおられる…ここに、この絞首刑台に吊るされておられる』」と。
 私達は苦難や苦境、困窮や悲惨な時に神様に疑念を持ってしまいがちですが、しかし、その時には神様は「私達を背負って歩いて」おられること、また最も神様が不在と思われる時に、神様は「ここにおられる」という現実を覚えたいものです。

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