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2011年6月 1日 (水)

「教会便り」2011年6月号より

「先が見えない」

 東日本大震災の発生から約二ヶ月以上が経ちましたが、まだまだ被災地、特に福島第1原子力発電所の復旧の兆しが見えず、収束のメドが立たないという先が見えず、出口や終わりの見えない状況が続いています。

「生産性のない作業」

 1942年、オーストリアでナチスに拘束された精神科医のヴィクトール・フランクルは、アウシュビッツの強制収容所に送られました。
 彼と共に収容された人々は、強制収容所で何もない空地へ連れて行かれ、午前中にただひたすら大きな穴を掘るように命令され、午後には、その苦労してようやく掘った穴を埋めるというような、何ら生産性のない作業を命じられました。
 当時、作業させられた多くの人はそのような作業だった故に、先が見えず、希望や目的が見出せずにいて、病気で倒れる人やまた絶望して、命を絶った人も多くいたそうです。

「信仰の父アブラハム」

 信仰の父と言われるアブラハムは、年齢が100歳近くで、妻のサラも90歳近い時に、神様は二人に対して、あなたの子孫は星の数ほど多くなると約束されました。
 アブラハムは現実的に子孫を残せる見込みは全くなく、彼にとって神様の言われたことは非現実的でしたが、しかし、「彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて、信じた」(ローマ4:18)のでした。
 アブラハムにとって先が全く見えず、見通しがつかず、普通の人ならあきらめ、落胆し、絶望するしかなかったのですが、彼はそれでもなお神様に望みを置いて、信じ切ったということです。
 この結果、アブラハムは「諸国民の父」(創世記17:6)となり、「ますます繁栄」(同上)し、彼の「受ける報いは非常に大きい」(同15:1)ものとなりました。

「神様に望みを抱いた先には」

 私達も現実を生きる中で、様々な問題・困難にぶつかり、先が見えず、出口や終わりの見えない状況が続き、絶望する時があります。     
 しかし、私達も「希望するすべもなかった時に、なおも(神様に)望みを抱いて、信じ」るならば、状況が好転し、または内なる変化があり、先が見え、出口や終わりの見える状況になるのではないでしょうか。

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