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2011年8月 1日 (月)

「教会便り」2011年8月号より

「幸せはどこに」

 幸せはどんな時と人に質問した時には、人によって、様々な答えが返ってくるのではないかと思います。
 「お金持ちになった時」「地位・名誉が与えられた時」「仕事を成功させた時」「重荷から解放された時」「夢が叶った時」「人に認められた時」等などといろいろな考えが出てくるでしょう。

「今は亡きモリー教授」

 内難病のALS(筋萎縮性索硬化症)に侵されているモリー教授の下に、大学時代に教授を恩師としていたスポーツ記者が、「先生、もし申し分なく健康な日があったら何をしますか?」と聞いたそうです。
 その時に教授は「そうだな…朝起きて体操して、ロールパンと紅茶のおいしい朝食を食べて、泳ぎに行って、お昼に友達を呼ぶ…」と答えました。
 死の間近にあったモリー教授にとって、健康な時が戻った時に望むことは、日常で誰もがする、ごく当たり前のこと、ごく普通のこと、何ら変哲のない、普通の日常の生活ということだったのです。

「子どもたちの夢」

 限られた命の時間を生きている小児ガンの病室の子どもたちの夢は、
「おすしが食べたい」
「自分の家でゆっくりしたい」 
「お外で遊びたい」
「大人になりたい」
「普通の生活がしたい」
「海が見たい」
「元気になりたい」
などだそうです。
 この子どもたちにとっては、私達が日常であまりにも当たり前に送る生活が夢であるのです。

「本当の幸せは日常生活にある」

 東日本大震災後、読売新聞の投書欄に、ある中学生の女の子が、「ご飯を食べ、おふとんの中で寝ることができる。お風呂に入ることができる。当たり前の日常生活が本当はとても幸せなことだと改めて感じています」と書いていました。
 使徒聖パウロもフィリピの信徒への手紙4:11で「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」と記されています。
 ここから本当の幸せというのは、どこか遠くにあるものではなく、ありきたりの日常生活にあること、そして、普通の生活を送れるということは夢のような事で、感謝であることを私達も習い、覚えたいものです。

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