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2011年9月27日 (火)

「教会便り」2011年10月号より

「請求書の祈りと領収書の祈り」

 宗教評論家で仏教の本を多数書いている、ひろさちや氏は、以下のような幼少時の体験を語っています。
 自分が幼児の時、祖母から、「ほとけ様を拝むときは、お願いごとをしたらあかんで。“ありがとうございました”と拝まなあかんのや」と言われたことがあるそうです。
 また小学生の時には祖母から、「今日、どないほとけ様を拝んできたんか?」と問われた時に、「あんな、おばあちゃん、きょうは算数の試験があんねん。そやから、百点とらしてくださいと拝んできた」と言いました。
すると祖母は「あかんやないか。あれほどお願いごとをしたらあかん言うてあったのに。もう一度、拝み直してきなさい」と説かれ、そこで彼は祖母に叱られて、「ほとけ様、ただいまのお願いは取り消します。ありがとうございました」と拝み直しました。
 この経験からひろさちや氏は、「ああしてください」「こうしてください」と、人間の勝手な注文をつける祈りが請求書の祈りで、反対にいま、現在、私が生かされている現実に、「ありがとうございます」と感謝の祈りをささげるのが領収証の祈りであると語っています。
 さて、この話は仏教での請求書・領収書の祈りですが、この祈りと同じことはキリスト教の神様への祈りにも当てはまるのではないでしょうか。
 つまり、私達が神様に対して、「富やお金を増やしてほしい」、「地位や名誉を与えてほしい」等々と要求の祈りばかりとなっている時には、「請求書の祈り」となっていて、反対に神様に対して、まずは今日、一日生かして頂いたこと、様々な恵み・導きに「ありがとうございます」と感謝する祈りの時には「領収書の祈り」と言えるでしょう。

「領収書の祈りからはじめる」

 イエス様は何かの行動をされる前には、「感謝の祈りを唱えてから」(ヨハネ6:11)、また「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします」(同上11:41)という感謝の祈り、つまり、領収書の祈りを捧げられていることがわかります。
 私達は日常生活での祈りが請求書の祈りになってしまいがちですが、まずは、神様に対して、「あれもしてくださいました」「これも与えてくださいました」という感謝の祈りをして、その次に神様に請求書の祈りをしていきたいものです。

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