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2011年10月

2011年10月31日 (月)

「教会便り」2011年11月号より

「当たり前 3」

 以前、月報で感謝の反対語に当たる「当たり前」ということを書かせて頂きました。
 今月号も、特に私達の日常で当たり前になっているものを取り上げてみたいと思います。

「当たり前の家・食べ物・家族」

 東日本大震災で避難した少女がインタビューで、「お父さんはまだみつかっていない。どれだけ今まで裕福だったかわかりました。家もなくなったし、帰る家もなくなったし、ご飯もないし、家族もまだいないし、どれだけ今まで幸せだったか、というのが今回よくわかりました」と気丈に語っていました。
 このことは家があって、ご飯があって、家族がいることが至福なことということを物語っているでしょう。

「『当たり前』の詩」

 骨肉腫の為に右足を膝から下で切断、後に肺に悪性腫瘍が転移したことにより、若くしてこの世を去った井村和清医師が、「当たり前」という詩を遺されています。

あたりまえ
こんな素晴らしい事をみんなは何故、喜ばないのでしょう
あたりまえである事を
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたい所へ自分で歩いてゆける
手を伸ばせば何でもとれる
音が聞こえて声がでる
こんな幸せはあるでしょうか
しかし誰もそれを喜ばない
あたりまえだと笑って済ます
食事が食べられる
夜になると、ちゃんと眠れ、そして又朝が来る
空気を胸いっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶ事ができる
走りまわれる
みんな、あたりまえのこと
こんな、素晴らしい事を、みんなは決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは
それを無くした人達だけ
何故でしょう
あたりまえ

 私達は目が見えて、耳が聞こえ、声が出て、呼吸ができ、睡眠がとれて、感情があって、家があって、ご飯が食べられて、家族がいて、朝・夕を迎えることができたこと等々、「あたりまえだと笑って済ます」のではなく、「素晴らしい事」と思い、日々、喜び、感謝したいものです。

2011年10月23日 (日)

山陰伝道区修養会

 2011年10月22日、23日に浜田市で山陰伝道区修養会が開かれました。
 中部教区主教の澁澤一郎師父を講師として招き、22日に講和、23日に聖餐式の説教をしていただきました。

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