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2012年2月

2012年2月29日 (水)

「教会便り」2012年3月号より

「手織りの刺繍」

手織りの絨毯、刺繍は、織っている時は裏側から織るので表は見えず、織り終わって、ひっくり返してはじめて表の模様が分かるそうです。
これと同じように人生というのも正に刺繍の裏側を織っているようなもので、人生をひっくり返してみると、人生の表の模様を見ることができるのではないでしょうか。

「『人生の刺繍』の詩」

刺繍のことをかんがえてごらん
どんなすばらしい作品であっても
裏から見ると模様がわかりません
裏から見てこの色がどうしてここにひっぱってあるのか
あの色の糸がなんのためにそこにあるのか  見当がつきません
色々な糸が無意味にさえ見えます
でも、表から見ると、いっぺんにわかります
このきれいな花弁の模様ができるために あの糸があそこにあったのか
この葉っぱを作るため あの糸が必要だったのか、と驚くのです
私たちの人生も同じです
今は裏からしか見えません
どうしてこのできごとがあったのか
なぜあのつらい思いをしなければならなかったのか
何のためにあの苦しみ、病気や障害が与えられたのか
多くの場合、今はわかりません
今は裏しか見えないため、「なぜ?」という疑問に答えられないことが
たくさんあります
天の御国へ行った時 はじめて自分の人生の刺繍を表から見るようになるのです
その時は、神様のすばらしいご計画や目的を知り ただ驚きと喜びのみです

「人生をひっくり返して見ると」

フランスのカトリック司祭のピエール・テイヤール・ド・シャルダンも、「人生とは、美しい刺繍を裏から見ているようなものだ。その模様が何を意味しているか、そのままでは分からないが、それを表から見られるようになったとき、その意味と美しさが分かる」と語っています。
 聖書でも「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(Ⅰコリント13:12)と語られています。
私達の人生は一見、苦しみや悲しみの模様しかないように見えるかもしれません。しかし、私達の人生をひっくり返して見ると、美しい模様となっているのではないでしょうか。

2012年2月 1日 (水)

「教会便り」2012年2月号より

「聖イグナチオの考え方」

 イエズス会を創設した聖イグナチオは、「起こってくる物事はすべて中立だ。すべて良いも悪いもない。あなたがそれを良いと見るか、悪いと見るかによって、物事は良くなったり悪くなったりする」と語っています。
 この考え方については、大きな事件・事故・災害などに関して、納得できないと思われますが、しかし、日常で起きる物事、出来事、事柄について、当てはめることができるのではないでしょうか。

「捉え方一つで良くも悪くもなる」

 たとえば、雨については、一般的には晴れの日より悪い日と映り、嫌な気持ちになるという人が多いのではないでしょうか。
 しかし、雨が降らず、日照りが続く地域の人たちにとっては、雨が降ると、正に恵みの雨となり、雨は良い日であると言えるでしょう。
 事実、ある渇水対策の本部長は、日照り後の雨は「本当に宝物が降ってくるよう」なもので、「雨がイヤなものだとは全く思わなかった」と語っています。

「物事を良いと見る捉え方」

 この「物事を良いと見るか、悪いと見るかによって、物事は良くなったり悪くなったりする」ということの最たる例として、作家の三浦綾子さんが挙げられます。
 彼女は、結核、脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など、多くの持病を持っていました。
 しかし、そのような状況にも関わらず、三浦綾子さんは「こんなに多くの病気にかかって、神様は自分をえこひいきしているのではないかと思います」と語っています。
 彼女はそのような多くの病気や患いを、神様がえこひいきして愛してくださっているという捉え方、見方をして、後には彼女は感謝の気持ちまでも芽生えています。
 このような彼女の捉え方は、正に「物事を良いと見ることによって、物事は良く」なるということを立証していると言えるでしょう。
 もちろん、このように捉えることは非常に難しいですが、しかし、起こってくる物事、それがたとえ不幸、不運、災い、逆境などに見えたとしても、「物事を良いと見る」捉え方をすることで、心の風景や世界観が変わるのではないでしょうか。
 私達は「物事を良いと見ることによって、物事は良く」なることを覚えて、実践していきたいものです。

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