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2012年3月30日 (金)

「教会便り」2012年4月号より

「事実(現象)と感情」

 世の中では事実・現象と自分の感情を一体だと思っている人が多いのではないでしょうか。例えば雨が降った場合、その雨という事実、現象に対して、心が沈む、嫌な気持ちになることがセットになっている、また一体化しているということがあることでしょう。
 しかし、本来は雨という現象・事実があるだけで、雨そのものは良いも悪いも無く、雨の現象はゼロであることがわかります。

「現象と感情は別々のもの」

 そこから心理学者の小林正観氏は「ほとんどの人は、現象と自分の感情が一体だと思っているかもしれません。
 よく、『上司に怒られたので、とても落ち込んでいる』という人がいますが、上司が怒ったことと、自分が落ち込むことは別です。『上司が怒ったこと』という現象と、悲しい、辛いという感情が別々に存在しています。
 もともと、現象そのものに、色はついていません。私たちが勝手にその現象に感想をつけて、『嬉しい』『悲しい』という色をつけているにすぎません。
 目の前の現象に、『嬉しい』『悲しい』という色をつけるのは自分なのです。その現象をどう受け止めるかは、自分次第ということです」と語っています。

「事実(現象)と感情を分ける」

 この「現象」と「自分の感情」を「一体」としていないという最たる例が旧約聖書の詩編119編71節の「卑しめられたのはわたしのために良いことでした」(新共同訳)。「苦しみにあったことは、わたしに良い事です」(口語訳)。また、「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした」(新改訳)というみ言葉です。
 この詩編の詩人は、何らかの理由で、人から卑しめられ、また苦しめられるという事実があったのですが、しかし、詩人はその事実と自分の感情を一体化せず、別々のものとして捉え、感情は「良いこと」「幸せ」と色づけしたのでした。
 もちろん、このような捉え方は簡単ではなく、非常に難しいですが、しかし、目の前の事実・現象を色づけしないで、事実・現象と自分の感情を分ける時には、人生の展開が全く違ってくると言えるでしょう。
 私達は「事実・現象」と「感情」を分ける訓練をしたいものです。

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