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2012年11月

2012年11月26日 (月)

「教会便り」2012年12月号より

「才能がないと悩む」

 人は時に「自分には才能がない」「私には学歴がない」「学業・営業成績が悪い」「いいところが何一つない」などと悩むことがあります。


「インドの寓話」

 あるインドの寓話があります。
 あるとき、一匹の象が仲間たちとはぐれ、迷子になり、猿たちが暮らす村へ迷い込んだのです。
 ところが、猿たちは誰も象には近づこうとはしなかったのです。その理由を尋ねると、猿の長老はこう答えました。
 「お前さんは図体が大きいから、近寄ると、押しつぶされてしまうんじゃないかとみんな警戒しているんだ」
 ショックを受けた象は村を出て、次にリスたちが暮らす村へとたどり着いたのです。
 「どうせ、自分の図体はでかいから、ここでも何も近寄っては来ないだろう」
 そう思った象でしたが、意外にも、リスたちは象の側へ近寄って頻繁にしゃべりかけてきました。
 その理由を尋ねるとリスの長老はこう答えました。
 「お前さんはものすごく立派な外見をしている。じつにたくましい身体をしている。だから、みんな、外敵から守ってくれるかもしれないと期待しているんだ。よかったら、このままずっと、われわれと一緒に暮らしてもらえないだろうか」
 ここから著述家であり、心理カウンセラーの植西聰氏は、「その人の才能は、一ヶ所では不要とされてもどこかで必ず誰かに必要とされる」と述べています。
 このことを拡大解釈して考えてみると、たとえ、一つのことが不要、短所、不得意だとしても、他のことには長所、得意の分野が必ず与えられているということが言えるのではないでしょうか。


「神がドア閉める時、別の扉を開ける」

 ブラジルのことわざに「神様がドア閉める時、神は窓を開ける」。
 またアイルランドのことわざにも「神様はドアを閉める時、必ず、どこか別のドアを開けていてくれる」とあります。
 このことから私達はたとえ、一つのことが不要、短所、不得意で、先には扉が閉じていると感じても、しかし、神様は必ず、別の扉を開かれて、私達の長所、得意分野、才能を生かす場所を与えてくださっているのではないでしょうか。

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