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2014年6月21日 (土)

聖霊降臨後第2主日(特定7)

6月22日(日)10時30分からみ言葉の礼拝を信徒で守ります。
福音書はマタイによる福音書10章24~33節です。
どなたでもお気軽においでください。(投稿信徒O)

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1.礼拝、集会のご案内」カテゴリの記事

コメント

失礼します。御一読ください。
.
 題:「予言」:「心理療法」:「遊行」・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの弟子たち・・、
 大(おお)らかな人たちだったとも言えるが・・、
 悪いけれど、程度は良くない・・悪かったようだ・・、
 この人たちが演ずる・・キリスト教の聖書・・、
 いくら綺麗(きれい)に書こう、話そうとしても、そこ
には限界がでる・・そこで、嘘や、オーバーな表現が入る
事になる。キリスト教に嘘が多いのは、このところにも、
原因の1つがある。
 ひたすら、オーバーな美化や表現になるのも、ここに原
因がある。キリスト教の嘘やオーバーな美化表現の原因と
なっている。
 釈迦の弟子たちより・・『はっきりと劣る』、
 理知的だった釈迦の弟子たち、『自ずと』そのやり取り
には深みが出て来る。
 キリスト教の様に無理に作り上げなくても、そのやり取
りに、自然と深さが醸(かも)し出されてくる。
 後世の頭の良い人たちが、ああだこうだと、キリスト教
を美しくしているが、その様なことを、しようとしないで
も済む。嘘をつかなくても済む。
 この差が、これがイエスの死後にまた、大きな差となっ
て表れる。
 キリスト教が、一生懸命、あの弟子たちは、後(あと)
になって良くなった、良くなった・・と、誉(ほ)めるが
(これは、さすがにキリスト教も、最初はダメだったと認
めている・・という事になるのだが)が、
 『栴檀は双葉より芳し』
 (せんだんはふたばよりかんばし)ともいうが・・無理
なのだ。
 イエス及びイエスの弟子たちの生まれ育ちは、その様な
ものだった。民の店を壊すのが相応という姿の様だ。
 イエスから、何度も何度も叱られた、馬鹿みたいに何度
も叱られた弟子たち、
 聖書を読んでいても、お前たち馬鹿かとしか言えない気
持ちになる。悪いけれど・・、本当に、何度も叱られ
るという、忘れっぽい御仁(ごじん)の「イエスの弟子た
ち」。所詮、それに関して書く側の品も落ちて来る。もち
ろん、それを読んでいる方たちの品も落ちて来る。その様
な中に・・すべてが存在することに・・、
 チャーチル・英国の元首相の息子が、イエスの弟子たち
の事を教えられた時、「この豚野郎」と怒ったというが、
 イエスが刑場の露と消える直前、イエス捕縛(ほばく)
の人たちが迫(せま)っているという大切な重大な時、
 この時は最低だった・・、
 イエスが祈っているという時に、この様な時に、眠って
いたというイエスの馬鹿弟子たち。
 大らかさもあったのかもしれないが、その馬鹿な程度は、
この様な時になんだと・・二の句が継げない気持ちだ。
 その弟子たちの中でも、少しは頭が良いという、会計を
イエスから頼まれ、やらされていた「ユダ」。
 多分、他の弟子たちは、計算が不得手と言うより、出来
なかったのだろう。数の「たし引き」ができない、そのレ
ベルの御仁だったのだろう。
 その中の男・ユダが、銀30枚でイエスを裏切る。金銭的
にも『心貧しき行為をした人』である。このレベルである。
 少しの金にも目が光った人たちだったのであろう。
 キリスト教は、どこを見ても裏切ったり、殺したり、騙
(だま)したり、本当に程度の低い、精神的に、倫理的に
最低。『最低な書』だと思う。ためになる話は『本当にな
い』。
 『性悪説に染まった思考』で『暗展開思考』をするから、
そこから出て来る思考も良い訳がない。こんなことが分か
らない。
 それにしても、銀30枚ぐらいで、売られるイエスも安く
見積もられたものである。
 何故、銀30枚くらいで裏切るのであろうか?不思議な領
域だ。その領域で悪行為をする人たちの領域の話のレベル
の『キリスト教聖書』。
 裏切った「ユダ」も悪いが、ユダ側だけに責任のすべて
があると断定し、判断していいのか? そうではない。
 そこに、イエス側の責任も皆無とは言い切れない、
 イエスに全くない、皆無とはできないという所が・・厳
然として存在しているということを知らねばならないし、
分からねばならない。
 キリスト教の聖書は、その様には説かない、避けている。
 説けないからだ。そこが、宗教の立場の弱点となってい
る。『その面が学べない』キリスト教徒となっている。
 分かる事が、知る事が出来ない人たちを作っているキリ
スト教となっている。
 偏頗(へんぱ)な人を作っているキリスト教となってい
る。
 しかし、キリスト教はこの点を、いつもの通り、『無視
をしている』、分からない事にしている。
 キリスト教は、この点に気付いているのであろう、さす
がに・・、だが、目をつむって、キリスト教信徒を『マイ
ンド・コントロールしている』。
 繰(く)られた信徒も、純真に・純真にと、事前に十分
に洗脳され、マインド・コントロールされているから、そ
のまま通り過ぎて行くのだろう。こんなもんだと・・。怖
いものだ。
 何しろ、キリスト教は、信徒の方々に『考えるな』『考
えるな』と洗脳している。ただただ導かれるが良い・・『
さまよえる羊たちよ』・・と、
 この様なマインド・コントロールは、本当に『怖いので
ある』。この怖さに・・気付いて居(お)られない。
 キリスト教側は、当然、都合がいいので、その点の是正
をするわけが・・ない。
 よくテレビで、社長が頭を下げている姿が『あれはあれ』
と見ているのであろう。
 ユダの件は『もう少しうまく』聖書に記すべきだった。
 本来は、イエスもユダのことで頭を下げるべくところが
あるのだ。気付かないだろうが・・、
 イエスも責任は逃れ得ないという面に気付くべきなのだ。
 キリスト教は、この不祥事のこの責任を不問にして、綺
麗にしている。当然、信徒のかたたちへは説明しない。
 キリスト教は、自分たちの都合が悪いことは遠慮なく変
える。事実も曲げる。そして、表面をきれいに繕(つくろ)
う、そのやり方を過度(かど)に行って来た。
 プロパガンダ(嘘宣伝)が酷過(ひどす)ぎる。
 社会的公正さも、まったくといってない。
 そして、このところの怖さを認識していない。
 この様な近代的なセンスはない。古い体質の宗教となっ
ている。古い体質のキリスト教のセンスを守っているだけ。
 この様にしてできているイエスの姿は『偶像である』。
 この偶像を崇拝している宗教と言えるキリスト教。
 キリスト教の聖堂には、武力で他国を攻め滅ぼし・・、
 その地の偶像を奪い、持ち帰り、自国のキリスト教聖堂
の外壁に張って、飾っている姿があるが・・、
 この様な目に見える偶像崇拝の姿以外にも、
 先に記した様な目に見る事が出来ない、作られた偶像も
・・キリスト教には・・一杯ある。
 キリスト教は、偶像を崇拝する宗教である。
 その偶像も、その作られ方も含めて質がよくない。
  銀貨30枚で、ユダが、イエスを裏切ったが、また、こ
のイエスだけでなく、仲間たちも裏切った「ユダ」だが、
 この金銭に関わる事、イエスたちの活動資金は・・、
 ある時は働き、ある時は会合で資金を募(つの)り、そ
の生活していた。当然、今・現代の言い方では、定職を持
った人たちではない。
 職業欄には、「遊行」とは書けなかったから、事実上の
状態の「無職」に○を付けるのだろう。
 故郷の、イエスの幼少の頃を、イエスの生い立ちを知っ
ている人たちが、イエスに・・、
 「予言者とはうまい事をやっているな』と言ったが、
 当時、エルサレムにはこの予言者という職業の人たちは
多かった。公的な予言者も居たが、イエスは個人的な、私
的な予言者だった。
 故郷の人たちは、それを「うまいことをしている」と見
ていた。結構収入はあったのだろう、大勢の人もやってい
る様なので。
 また、イエスは、イエスを故郷の人たちから「ぺしゃん
こにされた」ということを吐露(とろ)している。
 神通力が、故郷では効かないとも、イエスは言っている。
 イエスは、何しろ決まった事を職業的にするのではなく、
父・ヨセフの職業・大工をイエスもしていたようだが、そ
のヨセフは、早くに亡くなった様なので、イエスは長男だ
から、また、兄弟姉妹も多いようだったから、イエスは、
父の変わりに「家計を支える」という大切な責任があった
が、その責任は「放棄した状態」となっている。
 予言者として、故郷の人が言う様に「うまく、飯が食え
る立場には居たこと』は、確かだ。
 しっかりしたイエスの収入が、確保されていたのだろう、
その様子が、故郷の人たちが、うらやましがる『言葉ひと
つでも」分かる。
 弟子たちは、イエスを「ユダヤ教の聖職者の『ラビ』の
名で呼んでいる」ので、その遊行の職が根に付いている事
が分かる。遊行的に大工もやり、エルサレムでは、ラビ風
な予言者として収入を得て、金を得ていたと考えられる。
 イエスは、たびたび、エルサレムと故郷・ガリラヤを往
き来している。
 イエスを偶像的にし、想像し、美化して、キリスト教が
忌み嫌らう様な偶像化をしてはいけない。
 偶像を作ってはいけない。
 偶像崇拝宗教になってはいけない。
 それこそ、他ではなく、キリスト教は自らの真実を見よ。
 また、イエスは、街中では、商売柄、顔見知りも多かっ
たのか、その顔の広さから、ときどき、会堂での人を集め
るイベントも開けたと考えられる。
 そこでは、今現代でも医学的に、診療的に、効果がある
と認められている手を触れるだけで直すという行為をして
いた。
 この現象は、イエスだから出来たという現象ではなく、
 誰にでも起きるものと、現代でも、医学的に証明されて
いる。何ら奇蹟的な現象ではない。キリスト教は奇蹟・奇
跡と言うが・・。
 イエスも霞み(かすみ)を食べて生きていた訳ではない、
 金銭を必要とする生活をしていた訳なので、今で言う治
療費と言う金銭は徴収(ちょうしゅう)していたと考えら
れる。これも、故郷の人たちが「うまいことをしているな」
と羨(うらや)ましがっていた。
 イエスは、宗教家としての托鉢(たくはつ)行為は、し
ていないので、その面からも宗教家に属するジャンルの人
ではない。その様な・・人、
 「予言者」兼「心理療法をする人」兼「遊行者」。
.
 (参考)栴檀は双葉より芳し:白檀(びゃくだん)は発芽
   のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときか
   らすぐれているというたとえ。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

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