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2016年7月 1日 (金)

教会便り 7月号

思い出の歌

 執事 セバスチャン 浪花朋久

 「戦時中、朝鮮にいた時に学校で小学唱歌の「高嶺」をよく歌った。戦争へ向かう中、勢いのある曲ばかりが歌われていたのに「高嶺」だけが穏やかな曲調だった。調べてみると、あの曲は聖歌だ、ということがわかった。」

 このようなことを、先日ある方から教わった。「高嶺」はプロテスタントで用いられる『賛美歌21』に収められている「天のみ民も」という曲である。聖公会の聖歌集には、入っていないので、我々にとってなじみのある聖歌ではない。同曲は「聖歌」というよりも、むしろ「小学唱歌」として有名になった。しかし、先程の方が仰ったように、どうして時の文部省が、戦時中に敵国の宗教が作った歌を「小学唱歌」として採用したのだろうか。

迷った国を導いた聖歌たち

 明治5年から始まった学校教育「学制」の中に日本で初めて「唱歌(音楽)」の授業が取り込まれた。しかし、当時の日本は「音楽」に関して遅れをとっていたために「唱歌」を教えられる教員がいなかった。そこで文部省は、アメリカで小学唱歌を初めて取り入れたルーサー・W・メーソンを招聘した。メーソンは、青年時代に宣教師を目指していたことから、音楽を通して宣教の手助けをしたい、と考えていた。そこで彼は、明治15年に発行した『小学唱歌』に15曲の賛美歌を取り入れた。その中に「高嶺」が収録されており、日本人は知らず知らずのうちに、神様を賛美する歌を口ずさむことになったのだ。メーソンが発行した『小学唱歌』は、戦時中の日本の音楽教育から現代まで、影響を与えたのだ。

聖歌は「祈り」

戦時中、野外活動で疲れ果てた生徒たちが、その帰路で小学唱歌を歌いはじめると、その疲労が取り払われる思いだった、という手記が残ってるように、「高嶺」を初めとする聖歌は、子どもたちの心の支えとなった。

歌は、人生の疲れや迷いのある時の道しるべとなる。私たちが、礼拝で歌う「聖歌」も、単に「歌うだけの曲」ではなく、その歌詞に、曲調に祈りが込められている。言葉足らずな、私たちが祈りの内容に困っている時に、好きな聖歌を歌うことで、神様は、私たちの心の叫びを聞いてくださるのだ。

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