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2016年12月31日 (土)

教会便り 1月号

分断と一致

執事 セバスチャン 浪花朋久

先日、ある学校のクリスマス礼拝に招待されました。この礼拝でお話しされたのが、沖縄でアメリカ軍基地撤廃活動をされておられる方です。この方は「人が集まって何かをしようとする時に、必ず起こってしまうことが分断です」と、活動中に様々な人々の「我こそが正しい」という意見の衝突のために、不必要な争いが仲間同士で起こったことを語られました。「正しいこと」を行なっているつもりでも、自分と全く違う考え方を受け入れられないのが、人間の弱さなのかもしれません。

招きの拒否

新約聖書の中で、イエスはファリサイ派などの宗教指導者や政治家たちから論敵と見なされていました。ファリサイ派たちは、これまで自分たちが正しいと思っていた神様からの教えを利用して、人々から人気を集め、何不自由ない生活を送ってきました。しかし、イエスが人々に、ファリサイ派たちの教えを超える神様からの新しい教えを語っている姿を見て、自分たちの生活が危機にさらされていることを恐れたのです。その結果、彼らはイエスを殺そうと何度も企んだのです。イエスに自分たちの考え方が否定されることによって「自分たちの生活が崩される」と感じていたからです。しかし、イエスがファリサイ派たちに伝えたかったことは「一緒に神様の教えを行なおう」という招きだったのです。つまり、イエスは「立場は違えど、神様が喜ぶために、一緒に生きよう」とファリサイ派たちを招いておられたのです。

誰のために

人間は何かを起こそうとするとき、必ず分断されます。しかし、イエスが行なったのは、分断のままで終わるのではなく、歩み寄ることでした。「自分が正しい」「自分の考えの方が、神様に喜ばれるはず」と思ってばかりでは、何も解決しません。「こうしたら神様が喜ぶと思うのだけれど、あなたはどう思う?」という招きの言葉を掛け合うことで、私たちは神様と人間が一緒に喜び合える世界、神の国へ向かうことが出来るのです。

2017年、私たちは新しい年を歩もうとしています。神様の声を聞くために、他者の想いを聞くことで、喜びが増す1年となるように、歩んでいければ、と思います。

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