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2017年9月 1日 (金)

教会便り9月号

世界の中心

 司祭 セバスチャン 浪花朋久

 8月に広島と兵庫県佐用町へ出張に出かけました。その際に新しい出会いもあれば、懐かしい顔ぶれに再会することもありました。その時に、「教会の大きな行事の度に、新しい出会いもあれば、懐かしい顔ぶれに再会することを嬉しく思う反面、学校の同級生や会社の同僚たちとは、また違った不思議な感覚を覚える」ということを耳にしました。教会の友人たちが大切な仲間ではあるのですが、学校や会社、あるいは地域の友人関係とは、また一つ違った感覚を持てるのが「教会」という場所なのだ、ということを再確認できた気がしました。

初代教会の苦難

 今から約2000年前の教会では、「兄弟があなたに罪を犯したなら・・・」(マタイによる福音書第18章15節)という聖書の言葉があるように、教会内で信徒同士の争いがあったようです。「罪」とは「的外れ」という意味があります。しかし、この「的外れ」の主語は「神様から見た」ということです。人間の意思で「罪」を決めるのではなく、神様の目から見たもの、つまり「教会」という共同体が「イエス・キリストを中心に集まれない状態」になった時に、その罪が明らかになるのです。先程の聖書の言葉は、教会でイエスのことを忘れて、自分たちの都合良い仲間だけの集会が行われることが現実に起こったので、同じような罪を犯さないように私たちに警告しているのです。 

不思議な感覚の正体

教会は、イエス・キリストを中心に神の民が集まる場所です。そこには善人も悪人も集まることができます。なぜなら神様は全ての人を教会に招いているからです。人間の善し悪しで、教会に来る人を決めることはできません。先程のように、教会の仲間が「学校の同級生や会社の同僚とまた違った不思議な感覚」を持つのは、教会では人間の意思ではなく、神様の意思によってイエスを中心に人々が集められるからです。だから世間の集まりと違った感覚になるのです。この「不思議な感覚」こそが、神様が全人類を一つの場所に集めてくださる神の国の感覚なのです。つまりキリストを中心にすれば、世界は一つになれるのです。

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