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2018年8月 1日 (水)

教会便り8月号

現代の毒

 司祭 セバスチャン 浪花朋久

 8月です。夏が到来しました。今年の夏は、例年と比較できないほどの暑さとなりました。少し前までクーラーは「身体に毒」と思われていました。しかしクーラーがこの世に登場してから今日までの間に、その技術は進歩し、身体への負担がかなり軽減されました。今では、気象庁が熱中症対策としてクーラーを推奨しているくらいです。しかし「身体に毒」という先入観は、捨てきれません。しかし毒を用いて命を守る行動を取ることが、実は正しかったとしたらどうでしょうか。

毒麦のたとえ

 新約聖書『マタイによる福音書』に「毒麦のたとえ」という、イエスが天の国をたとえたお話があります。ある良い人が畑に麦の種を蒔いたのですが、人々が眠っている間に敵が来て、畑の中に毒麦を蒔いていきました。麦が実る頃には、畑に毒麦も現われましたが、良い麦と混ざっています。畑で働く人々は、主人に毒麦を抜き集めることを提案しますが、主人は「毒麦を集める時、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と刈り取る者に言いつけよう。」と語ります。このお話では、イエスが再びこの世界へやって来られる時に、神様の御心に適った生き方をした人と、自分中心・人間中心の生き方をした人を判断することがたとえられています。つまり良い麦は、神様の御心に適った神様中心・隣人中心の生き方をした人、毒麦は自分中心・人間中心の生き方をした人を意味しているのです。自分では、より良い生活を送り、他者よりも優れた考えを持っているはずだと思っていても、それは天の国では毒にしかならないのです。一方で、自分の利益にならないような「人助け」や「祈り」は、天の国にとって良き薬になるということです。

「誤解」という名の毒

 今の私たちにとっての毒とは、一体何でしょうか。「毒麦のたとえ」で、主人は毒麦と良い麦を識別する難しさを語っています。私たちの生活の中にも、毒と思われるものは多くあるでしょう。しかしそれは、本当に「毒」なのでしょうか。最大の毒は「誤解」です。誤解によって傷つけられることもあれば、傷つけてしまうこともあります。誤解さえなければ助かった命もあるはずです。私たちにとって最大の誤解は、「こうあるべきだ」という先入観です。この誤解を信じてしまうことで、刈り入れの時に私たち自身が毒にならないように気をつけなければなりません。

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