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2018年10月

2018年10月29日 (月)

11月の礼拝・行事予定

1日(木)10:30 諸聖徒日聖餐式

(初めての方向け聖餐式)

3日(土)10:00 米子聖ニコラス教会バザー

4日(日)10:30 聖霊降臨後第24主日聖餐式

(教会逝去者記念礼拝)

5日(月) 9:15 保育園礼拝

6日(火)11:00 石見地区牧師・司祭会

(浜田カトリック教会)

11日(日)10:30 聖霊降臨後第25主日 聖餐式

12日(月) 9:15 保育園誕生日礼拝

15日(木)19:00 使徒聖アンデレ記念聖餐式

(初めての方向け聖餐式)

18日(日)10:30 聖霊降臨後第26主日聖餐式

(子ども祝福式)

19日(月) 9:15 保育園礼拝

20日(火) 9:00 保育園収穫感謝礼拝

23日(金) 9:00 教区会(神戸)

5日(日)10:30 降臨節前主日聖餐式

26日(月) 9:15 保育園礼拝

 

2018年10月22日 (月)

自動車祝福式

Photo

 10月21日(日)礼拝後、新しい自動車を購入された信徒さんの自動車祝福式が行なわれ、安全な運転が出来るように神様へお祈り致しました。

2018年10月16日 (火)

2018年 山陰伝道区修養会

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 10月13日(土)~14日(日)まで、山陰伝道区修養会が境港復活教を会場に行なわれました。講師に日本聖公会九州教区の武藤謙一主教をお迎えして、「どの様に生き、どの様に宣教するのか」というテーマでお話を聞きました。講演後には宿泊会場へ移動し、交わりの時をもちました。また翌日10時から境復活教会で山陰伝道区合同聖餐式が行なわれました。

2018年10月12日 (金)

教会と夕陽

1011

浜田市は、夕陽が美しい街です。

10月11日(木)18時頃の教会から見える夕陽です。

2018年10月 1日 (月)

教会便り10月号

遺書と遺言書

 司祭 セバスチャン 浪花朋久

 皆さんは、「遺書」と「遺言書」の違いをご存じでしょうか。遺書とは、「私が死んでも家族仲良く過ごしておくれ」など、故人から家族などへ送られる「言葉」のことです。一方で遺言書は、「私が死んだ後、財産を○○に相続させる」と相続について具体的に記されているものです。後者は正しく記せば法的効力を持ちますが、前者には法的効力は全くありません。つまり自分が死ぬ前に伝えた「言葉」は、悲しい話ですが法的に何の価値もないのです。しかし、それを知らずに「もう伝えてあるから大丈夫」と思ってしまうと、旅だった後に家族で一悶着起こってしまうこともしばしばあるようです。

聖書が生まれた理由

 新約聖書の時代、文字を読める人が少なかったので、情報は人の口を通して伝えられていました。所謂「口伝」です。教会もイエス・キリストの言葉を直接聞いた使徒たちによって口伝で人々に伝えられました。しかし使徒たちのようにイエスを「直接見た」世代や「直接聞いた」世代がこの世を去ってしまったので、イエスの情報を正しく口伝で伝えることが難しくなってきました。そこで教会は、文字が読める教養ある人々を通して、イエスの言動や使徒たちの活躍を文字にして後世に伝えたのです。これが新約聖書の始まりです。そこには、当時の教会が抱えていた問題などの背景が垣間見える一方で、その問題が解決できたことも垣間見えます。イエスの存在が、当時の人々にとって都合の良い存在だったと偽りの姿が記されることなく、正しく記されたことによって、歴史的価値とその信憑性が高まり、その効力は教会によって現代まで続いているのです。それは、かつてイエスに救われた人々が、その救いの喜びを次の世代に正しく伝えようとしたからです。そういった意味では、聖書は「遺書」よりも「遺言書」と似ているのかもしれません。

残されたもの

 「自分が死んでも自分の意思は尊重される」と思っていても、それが残された者に正しく伝わらなければ無意味なものになってしまいます。イエスが私たちに残されたのは、不必要なものだったのでしょうか。そうではありません。十字架にかかったイエスによって人間の痛みや悲しみを神様が共感してくださる喜び、そしてイエスの復活によって私たちが苦しみから復活できることが新約聖書に詳しく記されています。私たちが苦しい時に喜びに満たされるために、聖書のみ言葉が残されたのです。

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