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2019年10月 1日 (火)

教会便り10月号

感じる力

  司祭 セバスチャン 浪花朋久

 今から5年前アメリカ、ワシントンのある駅で朝の通勤時に一人の青年が約40分間、ヴァイオリンで演奏しました。彼が立った駅は、中流階級の人々が利用する駅です。道行く人々は、音楽などの芸術に耳が肥えていたからでしょうか、それとも通勤時で急いでいたからでしょうか、誰も足を止めて青年の演奏を聞こうとしません。実は、演奏をしていた青年はグラミー賞受賞者のヴァイオリニストで、演奏していた楽器は1つ十数億円とも言われる名楽器ストラディヴァリウスでした。最高の演奏家と最高の楽器を持ってしても、誰もその価値を見出せなかったのです。この光景から、現代において「偉大だから」という理由で私たちの足を立ち止める効果がない、或いは「落ち着いて聞く心の余裕がない」と考えることができます。

正直な心

 新約聖書『ルカによる福音書』第18章に、ある盲人が道で物乞いをしている時に、群衆が通っていく音から「これは、いったい何事ですか。」と人々に尋ねるとイエス・キリストがその道を通られると聞きます。これを聞いた盲人は、大声で「ダビデの子よ、私を憐れんでください。」と叫びます。この声を聞いた人々は盲人を邪魔者扱いしますが、イエスは盲人を呼び寄せて「何をしてほしいのか。」と尋ねます。盲人は、たった一言「目が見えるようになりたいのです。」と願います。するとイエスは、盲人に「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」を語られると、盲人は見えるようになったのです。恐らく盲人は、既にイエスの評判を聞いていたはずです。盲人は、会ったこともないイエスが自分の目を見えるようにしてくれると信じて、救いの時まで自分の心に正直に生きていたのです。

価値を見出せる時

 私たちは、様々な情報からグラミー賞やストラディヴァリウスの価値を何となく理解しています。しかし、実際にその価値を見出すことできません。では私たちは、本当にイエスの価値を見出せているのでしょうか。イエスの言葉に、また「神様に助けてもらいたい」という自分の心の悲鳴に気づいているでしょうか。私たちが「救われたい」と願う時こそが、救われる価値を見出せる時なのです。自分の心に正直に日々を過ごせる安心感を覚えて、日々を歩んで参りましょう。

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