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2019年11月 1日 (金)

教会便り11月号

死と向き合う

司祭 セバスチャン 浪花朋久

 皆さんは、「ホームホスピス」という言葉をご存知でしょうか。この言葉は、病気で末期の状態になった人々が、病院ではなく家の中で人生の最期を迎えたいと考え、一軒家で共同生活を送るサービスのことです。ここでは24時間体制でスタッフが住み込みでサポートしてくださり、病院のように窮屈な思いをすることはありませんし、自由に生活することができます。しかしホームホスピスは、住宅街の中にあることから近所の方々から反対されることもあります。反対意見の一つに「自分は高齢のため、死を意識してしまうので、ホームホスピスが近くにあると早く死ななければならないのかと思うから嫌だ」というものもあります。現代では、死について考える際に「恐怖」が先行してしまうことがあるようです。

恐怖という救い

 キリスト教だけではなく、すべての宗教では、何らかのかたちで死者の魂の平安を祈ったり、お墓を大切にしたりします。しかし死者のために祈る時は死の怖さを感じないのに、どうして死にゆく人を目の当たりにすると恐怖を感じるのでしょうか。どちらも死が目の前にあるはずですが、私たちは死に至る過程を目の当たりにすると恐怖を感じます。

この「恐怖」について新約聖書では、イエス様の業を目の当たりにした人間の反応として「恐怖」が描かれています。しかし、この世から自分の存在が消え去ってしまう恐怖は、すぐにイエス様によって救われる、つまり死後の恐怖がイエス様によって打ち消されるのです。だから私たちは、死後の儀式において恐怖を感じることがないのです。

真の終活

 イエス様は、ヨハネによる福音書第11章において「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」と語られています。自分のことばかりを考えて生きていると、死は恐怖を与えます。しかし死後の世界に、私たちの憩いの場を必ず用意してくださっている神様のことを覚えて生きていれば、死の恐怖に襲われることはないのです。

 近年「終活」という言葉をよく耳にしますが、私たちは財産の整理をする前に、死の恐怖が喜びに変えられるような終活をできればと思います。

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